パニックになり人としての思考は完全停止し、ただ生物として生存することを悔やむのみ。「お願いだから死なせてくれ…無理だ…」声も出せず、一歩も動けず返事もできない。私はただ岩のようにそこにいるのみ……
こんにちは、マタギちゃんです。「初・高齢出産で無痛分娩にチャレンジしてみた~」のその2になります。
その1はこちら「初・高齢出産で無痛分娩にチャレンジ!無痛分娩は本当に無痛なのか⁈その1(クリック)」
前回、妊娠発覚~陣痛室での痛みとの壮絶な戦いをリポートしましたが、その続きから始めさせていただきます!
目次
ついに奈落の底に。泣きながら麻酔を懇願するおんな
予定日前日の早朝5時に陣痛が始まり、やっと入院が許されたのが夜8時。ここから陣痛室に入り、夫婦二人で痛みをやり過ごすこと4~5時間。この間、隣の部屋の妊婦さんはずーっと悲痛な叫び声を上げ続けている。
深夜1時に担当の助産師がきて内診してくれるも「まだ3~4センチってところだね、当分かかりそう。最低でも5~6センチ開かないと麻酔できないかな。この分だと産まれるのは明日の午前中って予想かな。まだまだ産まれそうにないし、旦那さん一旦帰宅して仮眠してきたら?」と言われる。麻酔はまだまだしてもらえそうにない。この時点でも充分死ぬほど痛いのに、この言葉で横になったまま膝から崩れ落ちそうに。
そもそもどうして陣痛ってこんなにしんどいのか?通常時2ミリほどしか開いていない(精子が入れれば充分なため)子宮口が、出産のために赤ちゃんの頭が通る直径9センチ大まで自力で(内臓の内側から!)大きくしていく必要があるかららしい。いきなり今まで1センチくらいだった鼻の穴を、スイカが入れられるくらいの大きさまで引き伸ばすことをイメージしてくれ。(しつこい)数時間かけてこれをおなかの中でやるのだ。
さらに膣だって指が数本しか入らない大きさに突然むりくり赤ちゃんの頭を通そうというんだから、そりゃあ会陰も裂けるってもんだ(裂けるのを防ぐためにあらかじめメスやハサミで切開する処置を施される場合が多いです)。これに関してはまた後程詳しく書いてます。
私同様、寝てもいないしロクな食事もしておらず、私が苦しむのを眺めて慰める以外に特にやることもないお亭主が不憫だったせいもあって、一人残されるのは不安ではあったが、いったん帰宅してもらうことになった。
「朝の7時ごろにまた来てくださいね」と言われ、お亭主は再び本日4回目のタクシーで帰ってしまった。そこからは私がたった一人、暗い部屋でお隣の悲鳴を聞きながら痛みと格闘すること2時間。その1に詳しく明記したように、ヘビー級、スーパーヘビー級と進化していく痛みの波を乗り切りながら、たまにウトウトし続ける。
しかしそのうちウトウトも不可能なほどの巨大なメガトン級の波に襲われはじめ、心は粉々に再生不能なまでに粉砕された。ついに歴代のご先祖様たちにまで助けを求め始める。
「もう、とっくに限界だ。何が何でも麻酔してくれ!じゃないと死ぬ。ショック死する。40歳過ぎたいい大人が弱音を垂れ流すなんて恥ずかしいけど、そんなことはもうどうだっていい。泣き叫んで助産師さんに頼むんだ!!」
決意を固め、私は勇気を振り絞ってナースコールボタンを押した。
ついに最終決戦へ。麻酔は天国へのエレベーターでした

「もう…限界…なんです…麻酔を…おねしゃす;o;8sdf7」泣きながら懇願。すぐに助産師さんが来てくれて再び内診。「あれ~、もう8センチ!一気に進んだのね、よく頑張りました。相当痛いでしょ、すぐに、麻酔しましょうね~」その言葉を聞き、一気に視界が明るくなり未来が見えた気がした。「麻酔をしますので、隣の分娩室に移動しましょう」
「はい!でもその前にトイレ行かせてください」というも、痛みで1ミリも動くことができない。いや、震えながら数ミリずつ移動できた。よく映画でルパンなどの泥棒が、赤外線センサーの張り巡らされた部屋を静かに慎重に移動するシーンのあれ。うぐ、うぐ、と数センチずつ移動してやっと用を足し、となりの分娩室へと移動。わずか数メートルの移動に5分以上かかってる気がした。
そして、「パパを呼び戻していいよ、たぶんすぐに生まれるからね」という助産師さんの言葉を信じて、まだ帰宅してから2時間しかたっていない夫を、本日5回目のタクシーで呼び戻す。(かわいそう、ビール飲んだだけで結局一睡もしていなかったらしい)
私は、冷たい分娩台に横たわり、麻酔医さんに前処置をしてもらう。
「アルコールにアレルギーはないですか?」「あれ!背中にタトゥーがある!これ聞いてないですね~、他の場所にもありますか?」という質問攻めに対しこの時点で苦しすぎて声も出せず、すべて無視してしまう。
しかし、麻酔医さんは容赦なく、「あれ?まだブラジャーもつけてるの?なんでよ!すぐに脱いで」とさらなる苦痛を強いてくる。タトゥー申告せよとかブラジャーは禁止とか事前に教えておいてくれよ、と心の中でキレたおす私。
だが、担当の若くてかわいい看護師さんが、「このひとどうしてブラしてるのよ!タトゥーもあるし。あなた一体なに指導してるのよ!」と私のせいで叱られているので「ごめんねごめんね」ととっても気の毒になる。
「これは5分おきに血圧を計る機械だから。これは麻酔の機械。こっちは赤ちゃんの心音を聞く機械、これは点滴…」と、一気に様々な計器や管が私の体に取り付けられ、あっという間に重病人みたいな悲惨な姿に。しかし、麻酔の液体を注入するための細いカテーテルが、腰から挿入された後は……すぐに下半身が痺れて感覚が失われていった!
最初は体を右下にして横たわっていたので、右下下半身がマヒしてくる。寝返りして左を下にするとやっと左右どちらの下半身もマヒが回る。
何だこれは!!ウソのように痛みが消えて、突然安らぎが訪れた!

麻酔直後にすぐに下半身がしびれ、感覚が無くなってしまった。ビックリするほど何も感じない。痛みも張りも、まったくわからない。胸から下が、さっきまで感じていた冷たさすら感じない。上半身はやたらかゆい。数時間ぶりに私に平穏な時間が訪れた!
まもなくお亭主も到着し、部屋からはスタッフが全員出払い、二人きりで取り残される。私と彼は、しばらく広い分娩室で写真撮影をしたり、しゃべったりのんびりしていた。モニターの数値を観察しつつ、いよいよ赤ちゃんが出てきそうな前兆を待っていた。
穏やか~な時間。ウトウト寝てしまう。だがその間もずっとグラフは激しく振動を繰り返し、おなかの中では陣痛の波が繰り返されていることがわかる。なんという技術なんだ!すごい、文明万歳!ビバ麻酔!
だが少しずつ、最初に入れた麻酔が切れてきて陣痛の張りを感じ始める。手元にあるリモコンのようなもののボタンを自分で押すと、追加の麻酔液が流れ込み、無痛状態が持続される。液の量はコンピュータ制御されているので、いくらボタンを押しすぎても、入れすぎにはならないらしい。
助産師さんがやってきて、上手ないきみかたを指導してくれる。内診もしてくれたけど、思ったよりお産が進んでいないらしく、相談の上、子宮収縮促進剤を使用することが決定した。
点滴の管から一緒に注入する。「麻酔を入れてから3時間以内に産んでしまうことが理想。それ以上長引かせると、子宮が疲弊して回復が遅れたり出血が止まらなくなるなど、リスクが高まる。」との話。
だがやはりまだ産まれそうにないので、1時間後にさらに2倍の量の促進剤を投与される。
これほんとに産まれてくるの?疑念が生まれ不安に
そこからまた二人になり、いきみの練習などをしていると、おまたに違和感を覚えた。おそるおそるのぞき込むと、白いブヨブヨした何かが、プク~と膨らんで出てきている。触ってみると、水風船のような感触。慌ててナースコールでスタッフを呼ぶと、助産師さんがやってきてくれた。
素早く股の間を処置すると、水風船がパアン!と破裂してその辺にオロナミンcみたいな黄色い液体がぶちまけられた。お亭主も私もドン引き。
これが…破水か。
そこからは別室でモニタリングしながらずっと待機してくれていたであろうドクターやスタッフたちが、慌ただしくワラワラと入室してきた。「分娩特攻チーム」みたいな感じで、「よっしゃ、やろうぜ!さあ、お母さん、さっさと産んじゃいましょう!」とお祭りでお神輿を担ぐかのように私の周りを取り囲んだ。
それまでフラットだった分娩台が、あれよという間にトランスフォームされ、むき出しだった私の両足が袋でくるまれ、M字開脚の形に大股開きにされた。これはすごいシステムだ!
3~4人の若いスタッフが私の股間を凝視している。左にはいきみを指導する若い女医さん。真ん中にメガネで冷たい感じのイケメンぽい医師、右には担当の助産師さんがモニターを見ながら、「今だ!吸って、吐いて、吸って、止めて!はい、いきむ~~~~~」と叫んでいる。言われたとおりに呼吸すると「上手ですよ~~」とほめてくれるが、下半身の感覚が全くない私には、今自分のおまたで何が起こっているのか知るすべはない。
ただ本当に無痛なので、冷静に場の状況を刻々と観察し、つぶさに記憶に焼き付けていた。あまりにも長く苦しんで拘束されていることに慣れすぎてしまい、土壇場に来てももうすぐ子供が産まれるという実感がわいてこない。もう限界まで疲れているので
(本当にこんなことで生まれてくるのかよ?感覚はぼんやりだし、このまま帝王切開に切り替えるとかになるのでは?結局朝の7時まで頑張ったけど、10時くらいに手術なんじゃないのかな?)と投げやりな気分。
しかし、3~4回目に「うううう~~~~~~ん」とおしりに力を入れ踏ん張っているとメガネの先生が「切開しますよ」と言ってハサミで会陰をシャキーンと切り開いた。疲れ果てていた私は「もう何でも好きにしてくれ」という感じの境地。数か月間も会陰をオイルマッサージしていた努力は無駄に終わった。
(いや、切開後の縫合の傷が早く治りやすいともいわれているので無駄かどうかは判定しがたい)
その直後、先生と助産師さんの手袋が血みどろになってるのが見えたので「わ~、すっごい出血量」と冷静に観察した。さらに数分後、2~3回いきむと股から頭が見えているのに気付いた。助産師さんが赤ちゃんの頭をヌルッと回転させて引っぱり出しているではないか!
赤ちゃんも全身に私の血を浴びて血みどろだった。「あ~~~、あ~~~~、あ~~~」と、私の頭上のポジションから私を支えていたお亭主も、驚きの声をあげていた。急におなかから何かが出ていく感じがリアルに判って、「ぬおおおお~~~~!」と思った。
「おぎゃあ、おぎゃあ」とかわいい声ですぐに泣きだす我が子。2人でこの瞬間を共有できたことはとても価値の大きいことだと思った。
本当に、私の腹には人間が入っていたのか!我が子との感動の対面
お亭主も感動して思わず雄たけびをあげていたくせに、あれから3年以上経過し、すっかりオッサンじみてきた彼についさっき「当時のことエッセイに書くよ」と報告していたら「全く覚えていない。全部マタギの妄想だと思うよ」とのこと。まあ、いいけど。
産まれてから、赤ちゃんは処置台で看護婦さんにきれいに体を拭いてもらっている間もかわいい産声を聞かせてくれていた。「うわ~、うわ~」
今まで280日間、私の体の中にいたものが、いったい何なのか(おそらく生物ではあろうけど)?果たして本当にリアルな人間が入っているんだろうか?と想像もできなかった。検診を受け、エコー写真を手渡されても、出産後に会えるであろう子供の姿を予想すらできない。
もしかしたら、すべてが幻で私の妄想なんじゃないの?とすら感じていた。もし顔を拝む前に、流産や死産などでこの子を失ってしまったら私はきっと立ち直れなくて自殺するだろう。そんな風にいつもいつも会える日を信じつつも、そんな不安と葛藤してきた、280日間のゴールが、今まさにここにあった!
我が子の顔を見て、声を聞いたぞ!そして、バスタオルにくるまれた小さな小さな赤ちゃんが私の腕の中に運ばれてきた。現実(リアル)だったんだ!!
本当に私、赤ちゃんを妊娠していたんだ!そして、産んだんだーーーーーー!感動が押し寄せてきて涙がポロポロ出てきた。いや、泣いてる場合じゃない、と涙をこらえ、決めておいたあのセリフを言うシーンがやってきたぞ、と赤ちゃんに向かって
「お誕生おめでとう!生まれてこれておめでとう!この世界へようこそーーー」はあ、これで私の大仕事はひとまず終わったぞ。しかし、お隣の分娩室では、陣痛室でお隣だったママさんの、いまだ「う~ん、痛ーい」と悶絶する声が聞こえ続けていた。
やっと訪れた平穏。しばし余韻にひたる
その後はまた赤ちゃんを看護婦さんが連れていき、赤ちゃんの計量などをしている間に、先生たちが私のおなかをグイグイ押したりもんだりしながらすごい力で胎盤を外に排出していた。
でも無痛なのでへっちゃら。
そしてすぐさま会陰を縫合。メガネ先生が真剣な表情で縫ってくれている。その間に新生児科のドクターがやってきて、我が子の体を入念にみている。そして一言、「うん、大丈夫。どこにも異常なしだよ。2828グラムの健康な赤ちゃんです」と伝えて去っていく。
高齢妊婦だったので、障害や欠損があるかもと覚悟はしてたけど、五体満足で一安心。(その後先天的に歯が1本足りないことがのちに判明した程度)私は促進剤の管やモニターなどを体から外したり写真を撮ったりのんびりゆったり過ごした。時々赤ちゃんを脇に抱えながらずっとかわいい産声を聞いていた。話しかけたりしてみる。
前々からバースプランで伝えていた、「胎盤を見せてほしい」という望み通り助産師さんが、ビニール袋に入ったグロテスクな物体をもって現れた。まだ生暖かく、ブヨブヨとしたレバーやモツのようなものの中に、青白い紐のような臍帯が漂っていた。
以前から気になっていた都市伝説である「胎盤からシャンプーのにおいがする」というのが事実かどうかを確かめるべく、においをかいでみた。何となく魚っぽい生臭いにおいがした。赤ちゃんは再び外へ連れていかれ、産着を着せられ、コットという移動型ケースに入れられ戻ってきた。今度は夫が抱っこさせてもらったりした。
スタッフは引き払い、静かになった赤ちゃんと両親の3人で取り残される。ひたすら写メ撮りまくる。しばらくは出血を防ぐため起き上がってはいけないのでそのまま放置される。
「無痛分娩」まとめ やってよかったこと、残念だったこと。
以上で長々と書いてきた私の出産ルポは終わりです。この後は退院までの4日間産後の産褥婦の回復具合を見ながら、赤ちゃんの基本的なお世話を学んだり授乳したりして過ごします。
私はまる2日まともに寝ていないにもかかわらず出産した興奮からずっと覚めることなく病室のベッドでこの出産日記を書きなぐっていました。分娩室での細かいことまで鮮明に覚えているのは、やはり「無痛分娩だったから」に尽きると思います。痛くなかったからこそ、冷静にいろんなことを考え観察できていました。
あのままメガトン級のクライマックスのまま分娩に至っていたら、私は気を失うかショック死していたんではないかと思えるほどです。しつこいですが無痛なのはあくまで分娩だけであり、果てしなく長い陣痛は経験しなくてはいけませんでした。その痛みは千差万別で、誰も詳しく教えてくれません。
私の親友も、母親も、出産を控えて不安メンタルの私を怖がらせまいとしてみんな「意外とお産は楽だった、世間が言うほどしんどくはないよ」と全く真実を伝えてはくれなかった。思いやりは有難いけど、そのせいで私は「無痛分娩だしきっと大丈夫、耐えられる程度でしょ」と甘く見ていた気がします。
しかし世の中には、「もう殺してくれ」と思えるほど耐え難い地獄の苦しみが存在することを私は肉体をもって味わったのでした。そして同時に、おそらくたった1回しか経験できないであろう「出産」という一大イベントを、麻酔なしで「これ以上ないという痛みを経験してみてもよかったかもしれない」という未練も多少残っています。
麻酔でマヒしていて、ヌルリと赤ちゃんが産道を抜け出ていく感触は、味わうことができなかったので。だって、人類の多くの母親たちが、何回も麻酔なしで挑んできた偉業、自分も人類のはしくれとして経験していたならば、いったいどんな結果でどんな感想だったかな?とも考えてしまうのであります。
その辺が唯一残念な点ではありました。
気が付くと高齢部屋に入れられていた。出産のダメージについて
個室に入院できるほど財力はなかったので、私は4人部屋に入院しました。すでに2人の方が出産を終えて同じ部屋で暮らしていました。私の向かいのベッドの女性は、看護婦さんが「授乳の時間ですよ」とか「お世話の時間ですよ」と呼びに来ても、「具合が悪くて起きられないので代わりにお願いします」と、1日中横になっていました。全く自分の赤ちゃんの世話ができていない様子です。よくよく話を聞くと、46歳で初めての出産だったらしく、出血がひどく輸血が必要になるギリギリのレベルまで失血したそうです。
そして斜め前のベッドの女性も、よく見たら私と同世代か年上っぽい。「この部屋って…もしかして高齢部屋じゃ!?」軽くショックを受けつつも、自分がもうすぐ退院というタイミングで同じ部屋に新しい妊婦さんが入院してきました。その方は大きなおなかで車いすに乗り夫らしき人物に押してもらっていました。明らかに40歳以上な見た目です。
はい、高齢部屋確定しました。
彼女は自分で歩くのも危険な状態でこれから出産に挑むのでしょう。そう考えると、自分もそんなハイリスク妊婦さんの仲間だったことを実感します。私も1000ミリリットル以上、かなりの量を失血したらしいですが、何とか起き上がって子供の世話はできています。夜は日記を書く元気もあります。
これが無痛分娩の効果なのかどうかはわかりません。でも、分娩のダメージは自然分娩よりはかなり軽減出来ていたのではないかと思えるのです。
ぶっちゃけ費用はいくらかかったのか?リアルな金額公開
何とかかわいい赤ちゃんと無事に退院の日を迎えた私の心配事はただ一つ、病院の費用を払えるのか?ということでした。あらかじめ伝えられていた入院費用は70万円、無痛分娩は15万円(3年前の値段)。私がもらえる出産給付金42万円。こつこつ貯めた貯金60万。
ギリギリ足りるかどうかの賭け。病院の会計から請求書が届きました。
・入院料
・投薬料
・注射料
・処置料
・検査料
・分娩料
・文書料
・新生児管理保育料
・食事負担
もろもろ合計金額 115万5260円
ひゃくじゅうごまん……
42万円を差し引いて73万5260円……
余裕で足りない!!13万以上足りない!支払うまで退院はできない!
私は病院のATMに持っているキャッシュカードを片っ端から差し込み、残高を全額引き出し、準備していた60万円になんとか上乗せして間に合わせた。スリル満点だ!
おそらく、子宮収縮促進剤とか、もろもろの検査代などは使うかどうかで個人で差があるように思えますが、基本的には支給される42万を全額利用してもそれでも70万円以上の持ち出しが発生しました。これが日本の大学病院の現実です。妊婦検診の自費で支払う分も合計すれば、80~90万円かかった計算になります。今後大学病院での無痛分娩を検討されている方の参考になれば幸いです。(ただし3年前の金額です。詳しくは各病院経理に問い合わせください)
もちろん私のようなハイリスク妊婦ではなく、健康な若い方は、自宅で出産とか助産院で出産など、費用を抑えた安全な出産をできるに越したことはないと思います。
総括
しがないフリーランサーの高齢出産・無痛分娩体験記でしたが、いかがでしたか?無痛分娩がまだまだメジャーになりそうな気配のない日本の医療現場において、私のような一般人がそれを拡散・啓蒙できる力はそれほどないかもしれません。
女性の平均出産(第1子)年齢が31歳を超え、40歳以上の初産も珍しくない今、「いつどのように産みたいか」の選択の自由や数が多くあることは、素晴らしいことだと思います。だからこそ、多くの情報をあつめて自分らしいお産を思い描くことが重要になってくるのではないでしょうか?
「できれば痛いことは避けて通りたい」という女性の気持ちはけして恥ずかしいことでも卑怯なことでもないと思います。理想は実現できるかどうかわからない未確定なものかもしれませんが、明確なビジョンとして思い描いておくと、案外実現出来たりするもの。
今後の皆様のお産が、楽しくて素晴らしいものになりますように!