目次
1.まさか!苔の一念岩をも通す。欲しかった二人目。
この記事から読む方々のために少しだけ自己紹介。東京出身です。東北での震災をきっかけに熊本に家族と共に移住。同じタイミングで15年間のサラリーマン生活を卒業し、フリーランスのプロダンサーで生計を立てています。ダンサー歴は約20年。起業してから8年の歳月が流れました。
話は数年戻ります。2011年に第一子である長女を授かってから駆け抜けるように熊本での新生活が過ぎていきました。何の身寄りもない土地でゼロから仕事を作っていくのは想像以上に過酷なこと。でも立ち止まったら動けなくなる。売り物は自分自身。なりふりなんて構ってられない。
その甲斐もあって営業活動を続けていくうちに少しづつ仕事が入りはじめ、同時に地元メディアにも取り上げてもらえるようになりました。サラリーマン生活のような安定した生活ではありません。財布の中に数百円しかないなんてこともザラでしたが、それまで感じたことのない充実感がありました。
大きなプロジェクトが決まり、いよいよこれから!という時に二度目の大震災。熊本地震です。ほぼ震源地に住んでいた僕ら家族はテントでの避難生活もした。
それから2年。熊本地震も乗り越え、生活が落ち着きはじめた頃。妻が第二子を身ごもりました。
とはいえフリーランスが不安定であることは変わりない。妻は子供なんて欲しくなかったそうですが、僕自身は二人目が欲しくて仕方なかった。第一子のときは基礎体温やら体調管理、半ば必死の妊活でしたが、男性側の強い意志も時として本当に奇跡を起こすようです。本来なら出来るはずのないタイミングでの妊娠に
驚きと喜びが溢れました。
2.余裕の第二子。出産は夫婦共同作業なんだなと感じた。
第二子も女の子でした。二度目となると手慣れたものでした。予定日と出演日が重なっていたのですが、無事イベント出演が終わった翌日の朝、陣痛が始まりました。これはすぐ生まれる。長女は6歳になっていたので率先して準備を手伝ってくれます。熊本市内の助産院に自家用車で移動。第二子も立ち合い出産でした。
妻は「赤ちゃんが生まれるところを長女に見せたい」ということだったので、長女は妻の前で待機。フリースタイル出産の助産院で、陣痛促進剤もつかわない。座った状態での出産。僕は妻を後ろから包むように座って待機しました。妻と一緒に呼吸を合わせて、いきむときは一緒に力を込める。それで何がどうこうってことは無いと思いますが、妻はとても心強かったと言っていました。
病院到着が朝七時過ぎ、暫くしてから寝ぐせだらけの院長が入ってくる。その間に行われた検査の結果を確認して、それから40分も経たないうちに第二子はスルッと生まれてくれました。長女は興味津々で出産の一部始終を見ていました。赤ちゃんが「捻り出てくるの」が面白かった!そうです。
僕は後ろから支えるだけにしておきました。正直、やっぱり男性の僕には刺激が強すぎる気がしたので。もしも第三子が授かったら見ようかなと。手慣れたとは言えヘタレなのです。
第一子のときは夫婦ともども我を忘れるほどの大騒ぎだったのに、こんなにも二人目は余裕なのかと驚いたのを覚えています。ちなみに僕は三人兄弟の三男坊ですが、母に言わせると三人目なんてもっと簡単だったと。何事も経験に勝るものはないと感じた第二子誕生でした。
3.誤解注意!おっぱいってありがたい。妻は大変。
僕の妻は「おっぱいの出」がとても良いです。ジャージャー出るので赤ちゃんが「飲みきれん!!」と半ギレになるくらい。ちなみに第一子のときは「出が良い事」に気付かず、おっぱいの出が良くなるように…と妻は餅を食べまくっていたので母乳が噴き出す勢いになっていました。
逆におっぱいの出ないママの苦労もあるかと思いますが、どちらにも良い点と悪い点があるなと感じました。これは完全に男目線なので、突っ込みどころ満載なのはご容赦を。
おっぱいの良い点
ミルクを準備しなくていい!僕はとても大雑把な性分なので哺乳瓶を煮沸とか、温度計を使ってミルクを人肌にとか、沢山の種類のミルクから一つを選ぶとか、ちゃんとできる自信がない。しかも新生児の場合は何時間置きに授乳をとか。
女性は赤ちゃんが泣くと本能的?に真夜中だろうがすぐに起きます。よね?一般的に。僕の場合、野球選手の打率くらいの確率でしか起きない。夜中に起きるだけでも大変なのに、そこからミルクの準備なんていったら、果てしない作業の連続に思えてしまう。これをこなしているママ・パパはリスペクト。
母乳であればポロンと出してとりあえず吸わせればOK。手間なしで助かるなぁと寝落ちする。
おっぱいの悪い点
妻が言うには「おっぱいをあげた後はエネルギーが枯渇する。吸い尽くされて疲労困憊になる」栄養補給のために二人分食べるので食事量が半端ない。もちろん授乳中お酒は飲めない。これが一番辛いと妻は言っていた。
また、完全母乳のときに夫婦喧嘩をして妻が家を飛び出てしまうと、父子は途方に暮れる。「やべぇ。赤ちゃんへの授乳どうしよう」と真っ先に思う。前もって搾乳をしておくという手もあるでしょうが。搾乳してから夫婦喧嘩なんてことはありえない。
当然、急場しのぎでミルクを準備する。当然飲みません。父はギャン泣きする赤ん坊を前に哺乳瓶片手に立ち尽くすのみ。やっぱり「おっぱいってありがたい」と思うのです。
4.「おい!こいつ夜行性だぞ!」言ってはいけないNGワード
次女の寝かし付けは、僕にも問題なくできます。妊娠中の「僕の行い」が長女のときよりマシだったのか、幸い初っ端から赤ん坊に嫌われることはありませんでした。それはもうトトロが子供を寝かしつける?様に腹の上で寝かしつけます。
ですが赤ちゃんは夜行性なんですね。どんなに昼寝をさせても、夜中に大人が気持ちよく寝入った頃にギャース!と活動を開始する。こんな時に間違っても父が言ってはいけないNGワードがいくつかあります。うるさい!何とかしろ!とかは当たり前に論外なので除外。夜中だと言ってしまいそうですが。
「ママ、おっぱいだってよー」ってのが、僕の妻にはNGワードでした。おっぱい言う前にまず自分も何とかしろ!というのが理由だそうです。「泣く=おっぱい欲しい」ではないらしい。
実際おっぱい上げても飲まずに泣き続けることもある。これは完全母乳の場合の話ですが、手間要らずが故に安易に男性が言ってしまいがちなNGワード。第一子のときはこの言葉を僕は連発してました。そのたびに翌朝夫婦ミーティングになります。
もちろんミルクであればママ・パパのどちらがあげてもいいわけで作業の分担が明確にできる。完全母乳の場合どうするか?「男性が抱っこして寝かしつけるしかない」母乳をあげ続けた妻は疲労困憊です。夜中も起こされて吸われたら翌日どうなるか?考えただけでも恐ろしい。
次女はとにかく夜行性でした。2歳になった今でもその片鱗があります。抱っこしても泣き止まない。部屋の中を散歩してもダメ。僕の最終手段は夜中のドライブでした。これは地方在住者ならでは。泣き続ける次女をベビーシートに乗せ近所を一回り、深夜営業のコンビニの中を抱っこでウロウロ。帰りはエンジンの程よい振動で大体寝てくれます。妻を起こさないように布団に戻り任務完了。おっぱいに頼らなくても出来る事はあるんですねー。
5.乳幼児育児「煮るは身を助ける」男が持っておくべき家事スキル。
僕は幸い一人暮らしが長かったので一通りの家事はできます。クオリティは別ですが。新生児、乳幼児を迎えて男性が持っておくべき家事スキルは何か?基本は炊事、洗濯、掃除。全部だと思います。
出産後、妻は一時的に長女を連れて実家に里帰りしました。当然ですが出産後の母体はフルラウンド戦った後のボクサー状態なので、出来る限り肉体的精神的な負担をかけない事に注力しなくてはいけない。これが最優先。これを怠ると一生「恨み」として妻の脳に刻まれます。
幸い、妻の両親は元気で活動的な方々なのでなんの問題もなく里帰りを受け入れてくれました。その間、男性は一時的に一人暮らし状態になります。食事は外食や出来合いで済ますことはできても、少なくとも洗濯からは逃れられない。掃除も荒れ果てた家に妻が帰ってきたときの修羅場を想像すると避けては通れない。
仮に里帰り先が無い場合。例えば仕事から帰ってきて間違っても言ってはいけないNGワード。「俺の飯はー?」です。出産後の疲労、間髪いれず始まる授乳でエネルギーを吸われ続けダウンしているママに、俺の飯作れなんて絶対言えない。と考えるべき。料理なんてしたことないという男性も多いと思う。凝ったものを作る必要はないのです。
逆に凝ったものを作って、後片付けが山盛り状態なんてのは本末転倒かなと。そこで「煮るは身を助ける」と思う。昆布か鰹節でダシをとって、うどんを煮る。余ったごはんを煮ておかゆにする。人参やホウレンソウを煮て柔らかくする。味付けは薄い塩か醤油。これだけでも違う。大人が食べるだけでなく離乳食にもなる。
大仕事をしてくれた妻のセコンドになるつもりで、早いうちから少しでも挑戦するといいと思います。
6.産んだ後は内臓損傷「満身創痍の妻」なんです
第一子のときは僕自身どこまで意識していたかはわかりません。出産してすぐに3.11があり緊急事態がずっと続いていたので。ただ当時の妻はそれ以前よりかなり疲れやすかったなと記憶しています。
看護師をしていますが、元々妻は体力のある方ではありませんでした。移住先を探すために乳児を連れて西日本各地を回った時は、かなり辛かったと思います。完全母乳の為おっぱいを吸われるたびにエネルギーがなくなり、長女の「父嫌い」の為にほぼ妻が抱っこをするという状態。
状況的にそうせざるを得なかったのですが、もしもこれが普通だったらどうだろう?と考えてしまいます。当時の僕はもっと何かできたのではないか?と今なら考えられます。
「内臓損傷」という言葉があります。これは妻が第二子を産んだ時に言ったのですが。赤ちゃんを産んだら「はいリセット」というわけではない。妊娠して赤ちゃんがお腹の中で大きくなるにつれて、他の臓器が徐々に圧迫され位置を変えエネルギーを送るために普段以上に活動を始める。それが出産と共に再び大変動を起こす。
看護師として働いている妻らしい言葉ですが、「出産は内臓損傷、完全に回復するのに1年はかかる」ということ。それもしっかりとパートナーのサポートがあった上で。まさにフルランド戦ったボクサーなわけです。
現在第二子は2歳になりました。もちろん離乳もしています。妻は産休を一年とりました。産後は一ヵ月実家で療養し、帰宅後しばらく授乳以外の事は僕がやっていました。ちなみに第二子を妊娠したとき妻は「産むけど産後は授乳以外何もしないからね!」と早々と宣言していたので覚悟はしていました。
欲しかった子供を産んでくれるだけでも有り難い。長女も協力してくれたのであまり苦ではなかった。その甲斐もあってか離乳した後の妻の体力の回復は早かったです。それまでできなかった運動も積極的に出来るようになり職場にも復帰しました。産前も大事ですが、産後の男性のサポートはもっと大事。女性がどれだけスムーズに復活できるかは男性にかかっていると思います。
7.子供の虐待。頼り頼られる子育てで回避する
我が子の虐待をどう思うか?絶対にしてはならないし有り得ないと思う。でも気持ちもわかる。かわいい!だけでは済まないのが子育てだなと最近つくづく思います。毎日の仕事と家事で疲れ切っていて気持ちの余裕もなくて、そんな時夜中に何やっても泣き止まなかったらイラッともする。せっかく作った料理を「酔っぱらったオヤジ」のようにひっくり返されたら咄嗟に殴りたくもなる。
こんなとき近くに頼れる祖父母がいればなとも思う。僕は東京出身で妻の実家も埼玉にあります。今住んでいる熊本からはどんなに急いでも一日かかる距離。簡単には行けません。預ける先もなく一日中幼い我が子とだけ過ごしていたら…些細なことでも怒ってしまうと思う。今の世の中、そんな状態は決して特別なものではないのだと思う。だから孤立した母子の間で悲しい事件も起きてしまう。
ちなみに僕はサンバダンサーが職業ですので、ブラジルに滞在することが度々ありました。ブラジルでは「子供は地域コミュニティで育てるもの」という意識が一般的です。だから、結婚して子供が何人いようが夫婦だけでデートしたり、友達と遊びに行ったりしてます。
子供はどうしてるか?近所のおばちゃんや友達夫婦が面倒見ていたり、子供たちだけで遊んでいたりしている。赤ちゃんは色んな大人のお世話になって育ちます。
日本はそんなコミュニティーが少なくなりつつありますが、だからといって無い訳ではない。僕の場合サンバを地域で広めることでコミュニティを作り妻が息抜きできる場を確保しました。男性として一番良くないのはママに任せっきりにして家庭内で母子を孤立させること。話を聞いたり、少しの時間でも赤ちゃんとママを離す時間を作るのも大事だと思います。
8.こんな父でもいいじゃない!
偉そうなことを沢山言いましたが、僕自身まだまだ勉強中のパパだと思います。職業柄、妻に負担をかけることも多いです。例えば長期間、家を空ける事もあります。次女が生まれる前ですが、サンバダンサーの修行で半年間ブラジルに滞在しました。その間、妻と長女は留守番です。次女が生まれてからも展覧会で一ヵ月ドイツに単身で滞在しました。
おそらく出張があるパパは同じようなことがあると思います。特別なことではない。そういう時に「こんな父でもいい」と許容されて、支障なく仕事に集中できるかは「日頃の行い」かかってるんだと思う。
男性と違って女性は良い事も、悪い事も忘れません。特に悪い事は脚色されて
しっかりと記憶されていることが多い。女性のメモリー復元能力は凄いと思う。
だから普段から「喜びと苦労を共にする」スタンスでいることの大切さを
第二子のときに痛感しました。
得手不得手があって「同じ質と量」の子育てが出来ないのは当たり前だと思います。そもそも生物的にスタートラインが違うので、同じものを求められたら男性としては困ってしまう。でも同じベクトルで同じ量の汗をかくことはできるかなと。
それにはお互いの苦労に共感しあえる状況を日頃から作っておく。例えば夜泣きで起こされたとき「大丈夫?暫く抱っこしてようか?」と一言声をかけるだけでも翌朝の妻の対応が違う。「昨日はよく泣いたねー」とお互い言い合えるか、「あんただけグーグー寝てて!」と詰られるか。この積み重ねが大事なんだなと思う。ちなみに僕が起きるかどうかはイチロー選手の打率位の確率です。
そもそも僕みたいな変な父親でも何とかやってます。ましてや真面目に毎日働いている世のパパには是非頑張ってほしいと思うし、良好な家族関係を作ってほしいと思います。